地震津波対策を考える議員連盟視察(2日目)

2025年2月7日(金)

この日は、地震津波対策を考える議員連盟視察の最終日。

前日から南三陸町にある『ホテル観洋』に宿泊しましたが、ホテルを出る前にバスの中で女将さんから震災時の様子やホテルとしての対応を聴かせていただきました。

こちらのホテルの創業者はチリ地震を経験しており、驚くことにその経験から被災時の防災拠点としてこのホテルを建設したとのことでした。

そのイズムが代々受け継がれ、東日本大震災の際には見事な防災拠点として機能したとのことでした。

優れた会社とその経営者は必ず社会貢献をしているものですが、正にそれを絵に描いたような素晴らしいホテルでした。

こんな素晴らしいホテルですが、震災前に比べるとまだまだ経営状況は回復していないとのことです。

社会貢献に対する姿勢は勿論ですが、料理もお風呂も景色も素晴らしいホテルなので、南三陸町にお越しの方には是非ご利用いただきたいです。

〇石巻市震災遺構 大川小学校

石巻市立大川小学校では、大震災後の津波により児童108名中74名・教員10名が、死亡・行方不明となりました。

海からは3.7km内陸に位置しており、津波は到達しないと思われていましたが、大津波は川を遡上し、児童らを襲いました。

15時には大津波警報が発令され町が避難を呼びかけましたが、50分間校庭に留まり続けたことや二次避難先が想定されておらずその場で議論を行った結果、高い裏山ではなく橋のたもとの小高い場所への避難を決めたことなど、事前事後の不適切な対応を含めて多数の問題が明らかになっています。

大川小学校の隣には大川震災伝承館があり、現在は立ち入ることができない校舎内の様子を見ることができる「バーチャル校舎見学」や震災前の地域との関わり、地域の方々の想い、事故の経緯や裁判についてなど、詳しく紹介されていました。

避難先となった「小高い場所」は何故ここなのかと見た人の誰もが驚くくらいの場所でした。

キノコ狩りなど学校行事でも利用されていた学校からわずか1分程度の裏山へ避難しなかったリスクの誤評価、マニュアルの不備、形だけの訓練など事が起きた後には冷静に分析できても自分がこの環境の中で生活していたら災害時に正しい判断ができたか分かりません。改めて日ごろから個人だけではなく地域が一体となって備えることへの大切さを痛感しました。

〇宮城県庁

宮城県庁では、震災復興計画期間後の取組、被災地の復興完了に向けたきめ細かなサポート、復興の進捗状況、現在の課題を聴くことができました。

中でも復興庁の土地活用ハンズオン支援事業のこれまでの取り組みが大変参考になりました。

地域特性を活かした農業推進や造成地における官民連携によるビジョンづくり。

県内の移転元地のうち利用が決定している土地は78.9%であるが、小規模な土地が点在している場合や官地と民地が混在しており土地の集約が進まず大規模な土地としての一体利用が困難となっているため、土地の集約を可能とする制度の創設を国に求めていくことや条件が不利な土地を活用してもらうためには、 通常の方法では困難なため事業者等を呼び込むために強力なインセンティブとなるものが必要であり、 補助金等による支援を国に求めていくといった課題も聴かせていただきました。

東日本大震災から14年。想像できないような悲しみや苦しみに耐えながら様々な問題に対して大変な苦労をしながら解決してきたのだと思います。

集中復興期(H23~H28)、第一期復興創生期間(H28~R2)を経て、第二期復興創生期間(R3~R7)も残すところ1年。

これまでの県民が力を合わせて努力してきた結果が、何倍にもなって還ってくることを願います。

大変衝撃的な視察でしたが、岩手県と宮城県では官民が一体となって努力してきた様子を知ることができたことや有事の時にこそ、『議員』という仕事の真価が問われるのだと身が引き締まりました。

過去の災害からしっかりと学び、静岡県政に反映させていきます。